ブラジル女子柔道

Source: ニッケイ新聞

正座して応援団に感謝するラファエラ(Foto: Roberto Castro/Brasil2016)

正座して応援団に感謝するラファエラ(Foto: Roberto Castro/Brasil2016)

《黒人女性、貧困、リオ五輪初の金メダル、ブラジルの顔》―スペイン「エル・パイス」紙ポ語版10日付電子版はそう報じた。柔道家ラファエラ・シルヴァの金メダルはブラジルのものだが、実は日本の勝利でもある。日本人にも心から喜んでほしい。

彼女はリオ市郊外の巨大貧民街「シダーデ・デ・デウス(神の町、以後CD)」という皮肉な名を持つ場所に生まれ育った。奇しくも開会式の演出責任者、映画監督フェルナンド・メイレレスの出世作『CD』は、その町の子供が凶暴な麻薬密売人になる姿を描いたもの。2年前のワールドカップ直前に公開された彼の弟子監督が作った映画『Grande Vitoria(偉大な勝利)』は貧困・非行から柔道で立ち直ったブラジル人の実話。開会式から始まり、今回の金メダル獲得劇はどこか『CD』の続編を見ている趣がある。

ラファエラは幼いころからケンカ早い乱暴者として知られ、社会適応させる意味で柔道NGOに入った。柔道との出会いがなければ、『CD』に登場するような犯罪集団の一味になっていてもおかしくない環境で育った。だが柔道の素質を見出され、ロンドン五輪に出場するものの2回戦敗退。

その時「このサル野郎」「お前の居場所は畳の上じゃなく檻の中だ」的な黒人差別メッセージをネット上で多数受け、柔道を諦めようと思うほど落ち込んだ。周りの支えで気持ちを持ち直し、今回は金メダル。まさに社会格差と人種差別の困難をスポーツで乗り越えた女性闘士の姿そのものだ。

才能があっても磨かなくては光らない。磨くための原動力は、逆境を乗り越える精神的なバネとそれを方向づける哲学だ。そこに日本移民が伝えた柔道があった。一歩間違えば犯罪者になったかもしれない乱暴者が、柔道に出会って五輪メダリストに。本当の国際貢献とは、金ではなく、そのようなものではないか。

彼女の初金メダルを報じたブラジル最大のTV局グローボの電子版記事「我々は皆ラファエラだ」には230以上のコメントが付いた。とんでもなく共感が広がった。どの局でもコメンテーターが「彼女は我々の模範」「彼女の生き方を学べ」と連呼する。多くの貧困層の子供らが、彼女を「希望の星」と思って後姿を追う。どれだけの子供たちが柔道で救われるか。意図せずに彼女は、日本哲学をさらにブラジルに根付かせる決定機を地元五輪で作ってくれた。

今後、リオ五輪を語るたびに、ラファエラの英雄譚がきっと出てくる。その時には、必ず「日本が教えた柔道哲学」という背景や想いが織り込まれて伝わる。「もっとこの精神をブラジルに広げなくては」という先に日本があるという方向性を、彼女は作り出してくれた。

日本にとっては、日本人選手がとるメダルだけが関心事かもしれない。でも、より国際的な見方からすれば、スポーツを通して日本の影響力や思想が広まることの方が、本当の意味での勝利だと思う。

彼女が決勝戦を制した直後、大歓声で応援してくれた観客の方に向いて、崩れるように正座して感謝の意を表現した。あれはブラジル的な表現ではない。東洋の匂いがする。

そして試合場から降りたその足で、まっさきに抱き着いたのは日系人の柔道指導者だった。戦後移民・石井千秋がミュンヘン五輪で初メダルをもたらし「俺たちにも手が届くはず」という自信を与え、講道館有段者会のメンバーが絶え間なく日本と交流を繋ぐ中で、柔道はブラジル最大の五輪メダル獲得種目に育った。

難しい世界情勢の中で、親日国を育てる意義は大きい。メダルにも、スポーツにも国籍はない。「あれも日本のメダルだ」と懐深く喜べる日本になって欲しいと心から祈念する。

ポルトガル語で話しましょう♪

  • 柔道:judô
  • 金メダル:medalha de ouro
  • 日本の勝利:vitória do Japão
Silvia in Tokyo

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